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2021年1月13日 (水)

トリアージ(Triage)の法的考察-COVID 19の蔓延との関係で(3)

前回記事(トリアージ(Triage)の法的考察-COVID 19の蔓延との関係で(2))の続きです。

7.医師の応招義務(医師法第19条第1項)

 トリアージとの関係で以前から疑問を持っているのは、医師法第19条第1項の応招義務との関係をどのように整理するかという点です。そこで、まず応招義務の一般論について筆者の知るところを述べます。

 応招義務とは、医師は、正当な事由がなければ、診察治療の求めがあった場合、これを拒んではならない、という義務です。違反した場合には医師免許の停止など制裁が課される場合があるもので、公法上の義務と考えられています。従って、患者が貧困であることを理由に診察治療を拒否することは認められないとされています(昭和24年9月10日医発753号 参照)。アメリカでは、プラチナ・カードを示さないと一見さんの患者は相手にしてもらえないと言われたことがありますが、アメリカ医師会倫理コードにおいて「医師には患者を選ぶ権利がある」と定められており、わが国とは真逆の考え方が取られているためのようです。この点で、日本の制度は医療サービスの公共性を重視していると考えられます。応招義務に関する教科書的な事例は、✈の機内で急病人が出た場合、たまたま同乗していた医師は、CAの呼びかけに応じて診察をしなければならないか、というのがあります。

 応招義務に違反した場合、前記のとおり医師免許の停止等の処分を受けることが考えられますが、民事刑事の責任はどうかについて、手許で直ぐに入手できる資料の範囲で調べてみました。

 民事責任に関しては、応招義務とは公法上の義務であって、これに違反しても直ちに民事責任が生じるものではないが、医師が診療を拒否し患者に損害が生じた場合、医師に過失があるとの一応の推定がなされ、診療拒否に正当な事由がある等の反証がない限り、医師の民事責任が認められるとの判断をした裁判例があります(千葉地裁昭和61年7月25日判例時報1220号118頁以下)。

 刑事責任に関しても、応招義務違反がある場合直ちに保護責任者遺棄罪が成立するという訳ではなく、他に救助を求めることが不可能であり、かつ緊急を要する状況を認識しているといった限定的な場合に、保護責任が生じうるという説はあるようですが、裁判実務として保護責任者遺棄罪の成立を認めた事案はないようです。この点につき、かつて内務省令の警察処罰令(明治41年制定、現在は廃止されている)において、応招義務に違反した場合の罰則が定められていたが、現在の医師法第19条第1項では罰則が無いことを理由に挙げている人もいます(山口悟「実践医療法」信山社(2012年)150頁)。刑事責任については慎重な法解釈と運用がなされているというところでしょうか…。

8.トリアージとの関係

 さて、トリアージとの関係をどのように考えるべきかという問題の検討に入ります。上記の応招義務に関する一般論によれば、医師(あるいは医療機関)が、COVID-19の患者の診察を拒否しても、正当な事由があれば、医師法第19条第1項に違反しないし、民事責任の推定を受けることもなく、ましてや刑事責任を負う可能性はないということになります

 そこで、「正当な事由」とは何かということになりますが、厚生労働省の行政解釈によれば、「医師の不在や病気等により事実上診療が不可能な場合に限られる」(昭和30年8月12日医収755号)とのことで、結構厳しく解釈されているようです。あるいは、休日夜間の急患診療所が地域において確保され、地域住民に十分周知されているような場合には、在宅している医師が、休日の救急診療所に行くよう指示することは医師法第19条第1項に反しないとしつつも、症状が重篤で応急措置を施さなければ、患者の身体生命に重大な影響をおよぼす虞がある場合には、診察に応じる義務がある(昭和49年4月16日医発412号)というのもあります。

 コロナウイルスの患者が診察を求めた場合、病床が満杯で受け入れ不可能な時は、他の医療機関で受け入れ可能であれば、そちらを紹介するということで、これまでは凌いできたと思われますし、そのような扱いは上記の「正当事由」にかかる二つ目の行政解釈(の延長線)からも認められてきたと考えられます。

 ところが、今後コロナウイルスの患者がさらに増えて、どこの医療機関も病床が満杯で、特に入院を要する患者を受け入れ可能な医療機関がない場合どう考えるべきか、というのがトリアージの問題になると思います。

 ここで考えられるのが「義務の衝突」と言われる概念です。義務の衝突とは、刑事法の分野で出てくる概念ですが、両立しえない複数の法律上の義務が存在するため、その中のあるものを履行するためには、他の義務を怠る以外に方法がない場合をいいます。教科書事例としては、子供2人を乗せたボートが転覆し、父親が同時に2人を救出できず、1人だけ救助し他の放置された子供が溺死した場合、父親の刑事責任が問われるかという問題です。この概念は、緊急避難と似ていますが、救助すべき義務がある(父親)という点と義務違反は不作為の形(他の子供を放置)となる点で異なります。

 コロナに置き換えると、診療契約の申し込みをしてきた患者に対しては応招義務があり、原則として診察治療をしなければならないが、病床があと一人で満杯で他に紹介できる医療機関も無いという場合、いずれかの患者を優先的に治療せざるを得ないが、その場合他の患者の容体が悪化し、事によっては死ぬかも知れない、という医療機関としては究極の選択を迫られると思います。患者の側からすれば、適時に医療を受ける権利を妨害されたことによる身体的又は精神的損害にかかる損害賠償請求ができるかという問題になります。

 義務の衝突による一般論としては、より高い価値の法益を守るためにそちらを優先した場合、違法性が無いといわれていますが、人命は同じ価値です。そうすると、より高い価値とは何かという半ば哲学的な問題に逢着します。

 本テーマに関する第2回目の記事で述べたとおり、医療サービスの需給が逼迫している場合の「最大多数の最大幸福」の追求がこの問題の基本ではないかと筆者は考えています。この観点で言えば、限られた供給の医療サービスによって、可能な限り多数の患者を救済できるように、医療サービスを配分するために、例えば、集中治療により回復する可能性が高い患者から先に治療するということになると思います。こうした究極の判断をする場合に最も重要なのは公平性であって、年齢、性別、国籍、社会的地位、資産その他回復可能性と関係が無いものは基準にしてはならない、ということも重要と考えます。(この点は全くの私見です。)

 しかしながら、後回しにされた患者やその家族からすれば、感情的に納得できない部分があることは否定できないと思います。その意味で将来の紛争の火種を残さない方法がないかどうか、という検討も必要と思います。こうした対策としては、十分な説明を行い患者やその家族に納得していただくという程度のことしか考えられないのですが、この点については、患者の自己決定権の問題にも若干関係があると思いますので、次回以降のブログ記事で扱いたいと思います。

 また、短時間で限られた情報で回復可能性の高い患者を選択するというのは、困難な作業と考えられ、その場合注意義務は軽減されないというのがこれまでの裁判所の考え方のようです。→この点については、第1回記事 を参照。

 

 

 

 

 

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