米国預託証券(ADR)の訴訟リスク-米国における東芝証券訴訟を契機として
7月17日(火)(米国時間)に、米国の第9巡回裁判所(控訴審)が、米国の投資家が東芝を相手に提起していた証券訴訟において、被告東芝勝訴の第1審判決を破棄して、第1審への差戻したとの報道がなされました。
これは、"unsponsored ADR"と呼ばれる証券に関する訴訟ですが、東芝以外にも我が国企業の株式でも"unsponsored ADR"が発行されているものがあるので、こうした日本企業に対する警鐘となりうるのではないか、という問題意識から本ブログ記事を書くこととしました。
[1] 事案の概要
本件は、米国の金融機関がその保有している東芝の株式を裏付けに、米国預託証券(American Depository Receipt)を発行し、これを購入した投資家らが、東芝の不正会計事件によりADRの価値が下落したことを理由に、米国の裁判所において、東芝を相手に損害賠償訴訟を提起したものです。
第1審は東芝勝訴。ところが、控訴審は第1審判決を破棄し、原審に差戻しています。
[2] Unsponsored ADR(いわゆる「勝手ADR」)
ADRは、米国の証券市場において外国株式を流通させるために、外国株式を米国の預託機関(金融機関)において保管し、預託機関がこれを裏付けとしてADRと呼ばれる証券を投資家に発行するものですが、これには、外国株式の発行企業の関与なしに発行される"unsponsored ADR"というものと、発行企業の関与がある"sponsored ADR"と呼ばれるものがあります。発行企業の関与なしに発行されるADRであるために、"unsponsored ADR"は「勝手ADR」と俗に呼ばれています。2008年の規制の改正により、"unsponsored ADR"の発行が容易になったために、数が増えてきているとの話も聞いたことがあります。
"unsponsored ADR"(勝手ADR)の裏付けとなる外国株式の発行企業は、米国の証券取引所で上場している会社のような継続開示の義務を負うことはありませんが、"unsponsored ADR"は、店頭市場での流通しか認められていません。 本件で問題になったのは、東芝の株式を裏付けとした"unsponsored ADR"(勝手ADR)でした。
なお、以前本ブログ記事で武田薬品工業によるシャイアーの買収を扱ったことがありましたが、武田薬品工業は、現在スポンサー付きのADRプログラムを有しています。
[3] 本件の争点
「勝手ADR」は発行企業の関与なしに発行されるADRであって、訴訟リスクは低いとも一部で言われていたようであり、現に第一審では東芝が勝訴していたので、筆者は本件についてほとんどフォローアップしていませんでした。
ところが、控訴審は第一審判決を破棄し原審に差戻しているので、俄かに興味をそそられ、控訴審判決を入手し読んでみることにしました。⇒http://cdn.ca9.uscourts.gov/datastore/opinions/2018/07/17/16-56058.pdf
控訴審判決によれば、原告である投資家らは、日本の金融商品取引法違反を含め、3つの請求原因を主張していましたが、主要な争点となったのは、34年証券取引所法第10条(b)項及び証券取引委員会規則Rule 10b-5という規定の適用の有無です。
Rule 10b-5に基づく証券訴訟は米国のロースクールで必ず扱うもので、「市場に対する詐欺」理論と呼ばれる理論に基づくものです。これは、公開市場における会社の株価は会社の企業情報によって決定されることを前提に、投資家が発行会社による不実表示に直接依拠して株式を購入しなくても、発行会社による不実表示と投資家による株式の購入との間に因果関係を認めるというもので、米国での証券訴訟では非常に多く活用されています。
東芝による利益の水増しが問題になったのは、日本国内において公表された有価証券報告書であって、前記のとおり"unsponsored ADR"の場合は、証券取引所に上場している企業のような継続開示を米国において行っているわけではありません。それなのに、何故日本における開示が、米国において「発行会社による不実表示」⇒「市場に対する詐欺」とされるのか。米国34年証券取引所法の域外適用が問題になった事例です。
[4] 先例としてのMorrison判決
米国の証券規制の域外適用が争点になった先例には、Morrison v. National Australia Bank Ltd.という事例があり、このMorrison事件ではオーストラリアで上場している銀行の株式を裏付けに発行されたADRに関して、オーストラリアの投資家らが、同銀行の米国支店が不実表示を行っていたことを理由に、米国の裁判所に出訴しました。
同事件において米国の最高裁は、米国34年証券取引所法が域外適用されるのは、
- 米国内の証券取引所に登録された証券の売買、又は
- (米国内において)未登録の証券の米国内における取引
であるとの一般論を述べ、投資家の訴えを退けています。
東芝事件の第1審及び控訴審では、このMorrison判決の射程範囲についての考え方の相違で結論が違ったと考えられます。
[5] 本件控訴審判決
第1審判決は、東芝の株式を裏付けとした"unsponsored ADR"は店頭市場で取引されるものであって、Morrison判決の1でいうように証券取引所に登録された証券ではなく、かつ
(ADRとは、証券の預託機関である米国の金融機関と投資家との契約であるから)ADRの購入者と東芝との間には米国内での証券の取引はないので、Morrison判決の2にも該当しない、として東芝勝訴の判決を言い渡しています。
これに対して、控訴審ではADRは米国の証券取引所に登録された証券でないことは認めていますが、2の未登録の証券の米国内の取引に該当するかどうかについて、原告である投資家らは十分な主張をしていないので、その主張をするように、との理由で原審に差し戻しています。
控訴審判決は、Morrison判決の2に該当するか否かの判断はしていないので、今後行われるであろう、差戻し審での審理如何によるので、現時点では何とも言えないところですが、以下の点が注目されます。
- 「未登録証券の米国内における取引」と言えるかどうかは、不実表示が行われた場所が問題ではなく、「国内取引」があったといえるかどうかである。
- 「国内取引」であるか否かは、Absolute Activist Value Masuter Fund Ltd. v. Ficetoで示された"irrevocable liability"基準によって判定される。
- この"irrevocable liability"とは、証券の売買における買主の代金支払等のirrevocable(撤回不能の)義務が米国内で生じたか、或いは売主の証券引渡しにかかるirrevocable(撤回不能の)義務が米国内で生じたか、によって「国内取引」か否かが判定される。
- 具体的にどのような事実をもって証券売買の当事者の"irrevocable liability"(撤回不能の義務)が生じたと認定されるのかについて、電子送金が米国内に向けて行われたり、売買にかかる書面が米国向けに送られた場合はこれに該当する。
- 投資家がADRを購入したこと自体は「国内取引」であること殆ど疑いが無い。
- 問題は取引の場所であって、株式を発行した外国企業が取引に従事していたかどうかではない。
筆者の意見ではこの最後の6の部分がかなり厳しいと思います。というのは、筆者の認識では、いわゆる「勝手ADR」(unsponsored ADR)とは外国発行企業の関与なしに発行されるので、自らが関与して作られたADRではないにもかかわらず、米国での証券訴訟のリスクに晒される結果になりかねないからです。
[6] 東芝による不実表明とADRの売買との関連性
控訴審判決は、更に「東芝による不実表明とADRの売買との関連性」について、原告である投資家に主張立証するように説示しています。これは、Rule 10b-5の規定において、「証券の売買に関して」(in connection the purchase or sale of any security)、という文言があるので、東芝の不実表示と原告らのADRの売買との関連性を要するからです。この「関連性」については、日本法でいう相当因果関係よりも相当範囲が広く、わが国の裁判実務では因果関係が認定されないものでも、「関連性」があると考えられています。
控訴審判決は、この点について、原告はADRの仕組みやADR購入にかかる事実の詳細を主張していないと述べつつ、次の点を指摘しています。
- "unsponsored ADR"(勝手ADR)であっても、外国株式の保管をする預託機関は、通常、発行会社の了解を得ている。
- "unsponsored ADR"を発行するにあたり、預託機関は、株式の発行会社より、「ADRの発行につき異議を述べない。」旨のレターを徴求している。
- 東芝は、"unsponsored ADR"の発行のために、英語による財務書類へのアクセスが可能である状態にしている。