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2017年7月

2017年7月25日 (火)

不動産取引(1)耐震性不足の建物の建て替えと借地借家法の正当事由

金融とは関係がないテーマですが、最近耐震性不足の建物の建て替えを理由とする借家人またはテナントに対する明渡請求について、裁判例をリサーチする機会がありましたので、備忘録として記事を書くことにしました。リサーチの結果を一覧表「List_of_cases_earthquake_registancy_and_justifiable_reasoin.pdf」をダウンロード

にまとめましたので、ご参照ください。但し、筆者の手控えとして作成したものに過ぎず、内容の正確性については保証しかねますが。

1.調査結果の概要

 以上が前置きなのですが、平成25年から28年の3年間くらいの裁判例で、耐震診断の結果が証拠として提出されていると推定されるもの合計27件を選んで傾向を調べました。一覧表「List_of_cases_earthquake_registancy_and_justifiable_reasoin.pdf」をダウンロード

のうち、平成24年以前のものは以前同じテーマでリサーチしたものです。また、耐震性が主要な争点となっているとは思われない事案は除いています。但し、耐震診断の内容が判決文からは不明なものもありました。

 まず、勝敗という観点から申し上げますと、28件のうち、賃貸人側勝訴(立退きが認められたもの)が18件、賃借人側勝訴(立退きが認められなかったもの)が10件という結果でした。また、平成25年以降における賃貸人勝訴の裁判例では1件を除き、全て立退料の支払いが命じられています。立退料の金額は200万円から6000万円までの範囲でした。立退料の算定は、賃貸物件の状況や賃借人の利用状況や立退きに至る経緯など当該事案の事情を考慮することになっていますので、事案によって大きく異なります。

 次に、この種の紛争においては、普通借家権における、期間満了時の更新拒絶が発端となっているものが殆どと言ってよいと思います。また、殆どの紛争が東京都内の物件にかかるものでした。首都圏直下地震が発生した場合、建物が密集している都内では大きな被害が出ることが予想されるので、都内の物件の耐震性に対する関心が高いことは理解できるのですが、東海地方や四国南部においても大地震の心配があるにもかかわらず、これらの地域での紛争事例は専門雑誌等で筆者が調べた限りでは掲載されていませんでした。

 また、昭和56年の建築基準法改正前のいわゆる旧耐震基準に従って、建築された建物が対象となっていると考えられる事例が殆どを占めています。中には大正時代に建築された建物もありました。しかしながら、「昭和56年の建築基準法改正以前の旧耐震基準による建物だから、取り壊しをしたい。」という主張のみで、耐震診断の結果を証拠として提出していない事案で、「正当事由」が認定されたものは見当たりませんでした。やはりちゃんとした内容の耐震診断があって初めてまともな勝負になると考えられます。

 それから、賃借目的が営業目的の物件に関する紛争が非常に多く、居住目的の物件に関する紛争は少ないという傾向です。賃貸人勝訴の裁判例18件のうち、15件が営業目的の賃貸借であり、賃借人勝訴の裁判例10件のうち、9件が営業目的です。但し、賃貸人勝訴の15件のうち2件および賃借人勝訴の10件のうち2件、合計4件は借家の一部を住宅に使っている事例であり、これらは営業目的の賃貸借に含めずに、居住目的の賃貸借に含めるという考え方もあると思いますが、一応一覧表では営業目的と割り切っています。

2.借地借家法の「正当事由」と耐震性不足

 ご存じの通り、普通借家契約において、期間満了時に更新拒絶をして契約を終了させる場合には、「正当事由」が必要とされます。建物が「朽廃」し、建物としての効用を果たさない状態になった場合には、建物の「朽廃」自体が賃貸借契約の終了事由になると言われていますが、そのような状態に至らなくても、建物の老朽化が甚だしく「朽廃」に近い状態であれば、当該建物の取壊しによる敷地の有効利用ないし建物の建替えの必要性という賃貸人側の事情及び賃借人による建物使用の必要性を合わせて考慮し、「正当理由」が認められやすい傾向にあると考えられます。

 ところで、「朽廃」に近いほど老朽化が甚だしい建物ではなくても、耐震性に問題がある場合、「正当事由」が認定される場合があるのか否かが、筆者の関心事です。

3.耐震診断について

 耐震性が争点となった多くの事例では、賃貸人側が何等かの耐震診断を受けてこれを証拠として提出しているようです。テナントや借家人側が専門家の意見書を提出して反論している事案も見られます。耐震診断のための補助金を出している自治体があるので、これを利用している方もいるのではないかと思います。

 建築技術に関しては筆者は素人ですが、調査した裁判例でしばしば登場する、昭和56年建築基準法改正前の建物の耐震診断で使われる、Is値(Seismic Index of Structure;構造耐震指標)について、筆者が理解しているところで説明いたします。

 Is値=E0(保有性能基本指標)×SD(形状指標)×T(経年指標)

という式で示されるものです。

Eo(保有性能基本指標)とは、建物の強度と粘り強さ(靱性)によって決まります。これは、乾いた木で出来た箱とコンニャクを思い浮かべるとわかりやすいと思うのですが、木の箱は少々叩いても壊れません。しかし、段々重みをかけていくと、いずれはバキッと割れます。これが強度になるわけです。次にコンニャクは叩くと曲がりますが、直ぐに元に戻ります。これが粘り強さ(靱性)になるわけです。地震の揺れに対する強度は必要ですが、ある限度を超えると突然壊れるのは困りますし、だからといってグニャグニャしている建物であっても困るので、建物を設計する場合、強度と粘り強さのバランスを考えて設計するわけであり、両者が建物が有する基本的な耐震性能を決めるものということになります。

SD(形状指標)とは、建物の形状による指標です。地震に強い建物かどうかは壁の量によって決まるという話を聞くことがあると思いますが、例えば四つの面のうち、三面は丈夫な壁があるのに、一面だけは壁がないとすると、地震による揺れによる力は、壁がない面に集中することになり、そこから建物が倒壊することになります。あるいは、一辺だけが極端に長かったり短かったりすると、地震の揺れが特定の方向にのみ力をかけることになり、そのため建物が倒壊する可能性が高くなります。SD(形状指標)とは、こうした建物の形状を考慮にいれるための指標です。

T(経年指標)とは、読んで字のごとし。要するに経年劣化を考慮するための指標です。

 以上によれば、Is値とは、建物の強度と粘り強さに、形状と経年劣化を考慮した指標と考えられます。

 耐震診断には第1次診断から第3次診断までありますが、第1次診断は壁が多い建物の場合に使われるものなので、第2次診断以降が一般的な診断法であると思います。第2次診断を前提としますと、

 Is値が0.3未満の場合→地震の震動及び衝撃に対して倒壊し、又は崩壊する危険性が高い。

 Is値が0.3以上0.6未満の場合→地震の震動及び衝撃に対して倒壊し、又は崩壊する危険性がある

 Is値が0.6以上の場合→地震の震動及び衝撃に対して倒壊し、又は崩壊する危険性が低い。

 具体的にはIs値が0.6未満の場合、震度5程度の地震(例えば1968年十勝沖地震及び1978年宮城県沖地震)で中破以上の損害を受けるというものです。→http://www.taishin-jsda.jp/is.html

 このほか木造建物に使われるIw値、昭和56年建築基準法改正後の建物に使われるq値、鉄筋コンクリート造の建物に関するCT・SD値というものもあります。ネットで検索をするとたくさん出てきますので、そちらをご参照ください。例えば、→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%90%E9%9C%87%E8%A8%BA%E6%96%AD

 調査した裁判例では、2階建て以上の建物での多くのフロアにおいてIs値が0.6未満である場合が耐震性を巡って争われているという傾向が見られ、賃貸人勝訴の事案もIs値が0.6未満が分岐点のように思います。もっともIs値が0.6未満であるからといって、賃貸人が常に勝訴(立退き認容)とは限らず、逆に0.6以上のフロアがある建物であっても、賃貸人が勝訴している事例もあります。

 このように耐震診断の結果が全てが決まるわけではない、というのは何故か?を以下において分析したいと思います。

4.耐震工事費用の見積もりの重要性

 耐震診断の結果が証拠として提出されている事案の多くでは、耐震工事費用の見積もりが証拠として提出されています。

 賃貸人勝訴(立退き認容)の事例の傾向としては、耐震診断の結果地震による倒壊の危険性が認められることを前提としつつ、そもそも耐震工事ができない場合、耐震工事をすると建物の効用が損なわれるような場合、あるいは耐震工事の費用が過大なものになり、賃料収入をもって回収することができない場合に、立退きによる取り壊しが認められるようです。「耐震工事の可否や費用について具体的な主張立証がない。」という理由で、賃貸人が敗訴している事案もあります。

 一覧表に記載した賃貸人勝訴(立退き認容)の事例の多くは都内のビルに関するものですが、億単位の修理費用がかかるとされているものが大部分です。換言すれば、少ない費用で耐震工事が可能である場合には、賃借人の建物使用の必要性が重視され、正当事由が認められにくい傾向があります。一覧表に記載した事例において、数百万程度の費用で耐震工事が可能である場合には、正当事由が認められていません。(もっとも、数百万円以上の費用がかかる場合であっても正当事由が認められていない事案もあります。)

 こうした傾向から考えますと、賃貸人/賃借人いずれの立場であっても、適切な耐震工事の費用を調査することが、この種の紛争の勝敗を決するポイントになるように思われます。

5.賃貸人による土地の有効利用

 耐震診断の結果「地震による倒壊の危険性がある。」とされていても、直ちに立退き/明渡請求が認容されているわけではなく、賃貸人側の事情として、建替えなどによる土地の有効利用計画があるかどうかも考慮に入れている事案が見られます。例えば、耐震補強工事に8500万円かかると試算されている事例において、「賃貸人は取り壊し後駐車場として利用するとのことであるから、取り壊しが急務とは言えない。」という理由で、賃借人を勝訴させている事例もありますし、「賃貸借契約の更新拒絶をした時に、具体的な建替え計画がない」ので正当事由が認められないとされた事例もあります。

 正当事由の有無については、賃貸人側の自己使用の必要性と賃借人側の使用の必要性との双方が検討されるので、老朽化の程度が激しく、倒壊の危険性が高い建物でない限りは、賃貸人側の土地の有効利用の計画の主張立証がない限り、正当事由は認められにくいということだと思います。 

6.立退料について

 平成25年以降における賃貸人勝訴の事案では、1件を除き、立退料の支払いとの引き換えで、賃借人の立退き/明渡が認容されています。地震による倒壊の危険性がある建物であっても、賃借人の責任で倒壊の危険性が発生したわけではないので、立退きを迫られる賃借人の不利益を考慮して、立退料を支払いを命じられているのはやむを得ないことと思います。

 立退料の金額については、筆者が調査した範囲では、耐震診断の結果耐震性に問題があると認められた事例では、最大が6000万円、最小が200万円でした。立退料は立退きをする賃借人の損失補填を目的とするので、賃借人の事情によって金額が異なると思いますが、建物の状況(RC造ビルvs木造住宅や建築後の経過年数)によっても異なるように思います。

 立退料の算定方法は大きく分けて二つのグループに分けられます。一つは、立退きに要する費用(引越代、移転先の内装費、移転先の敷金や賃料の一部補填、休業補償)を積み上げ式に算定する方法がとられているものです。もう一つは、借家権の価額を算定しそれに一定割合(例えば50%)を乗じるというものです。筆者が調査した範囲では、前者の方法がとられている事案のほうが多いという傾向が見られます。

 なお、賃貸物件を取得後半年後に更新拒絶を申し入れた事案において、「賃貸人は建替えしたビルに賃借人を入居させることにつき極めて消極的な態度を示している。」という理由を述べて、億単位の立退料をオファーした賃貸人を敗訴させているもの(22番)もありますし、逆に賃借人に対して、3つの場合に分けて転居先のあっせん、移転費用の負担等のオファーをした事案において、立退料の支払いなしに明渡を命じた裁判例(16番) もあります。但し、これらの事例はほかの事例と比べてやや特殊な事情があるようですが、移転先をあっせんしたり、建て替え後の建物の賃貸を約束するなど、賃借人の負担をなるべく少なくする努力をしている場合には、立退き/明渡が認められやすいという傾向は見て取れると思います。

6.修繕義務

 賃貸人による立退き/明渡請求が認められるか否かという論点と関係があるのが、賃貸人による修繕義務です。耐震診断の結果地震による倒壊の可能性があるとの結果が出た建物で、建替えのための立退き/明渡が認められない場合、賃貸人は耐震補強工事をする義務があるのか否かという疑問が生じてきます。

 この点について裁判所のスタンスが明確に出ている裁判例が少ないのですが、1件だけ裁判所がその考え方を明確にしている事例がありました(東京地裁立川支部判決平成25年3月28日)(16番)これによれば、

  • 耐震改修の方法は建物の所有者が決定すべき事項であり、耐震改修が経済的合理性に反するとの結論に至り、これを断念しても、その判断過程等に逸脱がなく賃借人に対して相応の代償措置が取られている限りは賃貸人の判断が尊重される。
  • 賃貸人の修繕義務は、賃貸借締結時の目的物の状態を基準に、その破損のために使用収益に支障が生じた場合にこれを回復すべき作為義務をいうのであって、賃貸借締結時に予定されていた状態以上のものに改善することを賃借人において要求できる権利まで含むものではない。

とのことです。この事件では当事者双方が修繕義務についても厳しい対立をしていたために裁判所がこのような判断をしたのではないかと思います。

 上記の東京地裁立川支部の裁判例は結論として、明渡請求を認容し賃貸人による建替えを認めているので、当該建物の修繕は必要でないわけですが、正当事由が認められずに賃貸人による立退き/明渡請求が棄却された場合に、賃借人は賃貸人に対して耐震補強工事を行うことを請求できるのかどうか、という疑問が残ります。

 Is値が0.6未満であれば震度5強の地震でも建物が中破する可能性があるわけで、建物の所有者の安全配慮義務という観点から修繕義務を認めた(あるいは認めなかった)事例がないかどうかも調べてみたのですが、そこまで踏み込んで判断をした裁判例は見当たりませんでした。

 仮に修繕義務があるとしても、賃借人が賃貸人に対して耐震補強工事を裁判で請求する場合、理論的には耐震補強工事の内容を特定する必要があるはずですが、建築の専門家の支援を受けない限り、賃借人がそのような請求をすることは実際上困難といえます。

 そうすると、危険な建物を使用させるべきではないという価値判断に立つと、耐震性に問題がある建物の場合、建替えのための立退き/明渡を広く認めるという考え方がありうると思います。

 映画館のように不特定多数の人が出入りするビルの場合、利用者は一般に建物の安全性を信頼して出入りしていると言えないでしょうか?そうだとすると、危険なビルについては、修繕をさせたり、建替えのための立退き/明渡を認めるべきという判断に傾きそうです。

 これに対して、居住目的の場合建物の利用者が限定されています。そして、利用者(=賃借人)は予め建物の状況を承知したうえで賃借しています。このような場合には、賃借人が耐震性に問題があることを認識したうえで、立退き/明渡を拒否しているにもかかわらず、積極的に修繕を請求する権利(つまり賃貸人に耐震補強工事をさせる)があるというかどうか、価値観の分かれる問題ではないかと思います。

7.修繕費用の負担

 調査した裁判例の中では1件、耐震補強工事をすることにより、建物の価値が上がるにもかかわらず、賃借人は従来の割安な賃料を維持する態度を示していることを正当事由を認定する事情の一つにしているもの(8番)がありました。

 確かに、耐震補強工事により建物の安全性が確保され、建物の価値が上昇するという利益は、賃貸人と賃借人の双方が利益を受けることですから、賃貸人が耐震補強をする場合、賃借人にも相応の負担をさせるべきではないかという価値判断もあると思います。

 そこで、こうした場合、賃貸人は借地借家法第32条の賃料増額請求ができるかどうかですが、同条には「…建物の価格の上昇…」と書かれているものの、耐震補強工事により建物の価値が上昇した場合に賃料増額請求が認められた事例は調査した範囲では見つかりませんでした。そもそもこの規定は周囲の事情の変更により現在の賃料が不相当になった場合を予定しているので、耐震補強工事による建物の価値の増加は含まれないと考えるのでしょうかね。

 そうすると、賃貸人としては次回の契約更新時に耐震補強工事による建物の価値の増加を反映した賃料の値上げを求めるということになると思われます。

8.ファイナンス

 一応「金融法ブログ」なので、金融との関係を一言。耐震診断や耐震改修を行う場合の費用について、金融機関のリフォームローンが利用できるのかどうかという疑問があります。ネット上でいくつかの銀行のリフォームローンを見たのですが、耐震診断や耐震改修も対象となるのかどうかまでは明記されていませんでした。

 大きなビルの耐震診断や耐震改修にはそれなりの費用がかかるはずですし、耐震診断や耐震改修には地方自治体で色々と補助金/助成金を出しています。また、税金面でも減税措置を受けることができるので、これらの特色をミックスした耐震診断や耐震改修に特化した金融商品というのもありうるのではないか、と思いました。 

9.まとめ

 以上をまとめると、「正当事由」の有無については、

  • 耐震診断の結果Is値が0.6未満となるなど耐震指標によれば、地震による倒壊の危険性があるとの判定がされた建物
  • 耐震補強工事が不可能か高額で経済的合理性がない
  • 賃貸人に有効利用の具体的な計画がある
  • 適正な立退料の提供がある

 といったところが、賃貸人と賃借人のいずれが勝訴するかの分かれ目になるような感じがします。

 そして、耐震補強工事に関しては、賃貸人の義務とは言えないまでも、建替え目的による立退き/明渡を認めない場合には、修繕の要否とその費用の負担について、価値観が分かれるような困難な問題があるというところが結論でしょうか…。

以上

 

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