イスラム金融(54)スクーク(イスラーム債)と英米法における信託
1.スクーク(イスラーム債)の特色
イスラーム金融においては、
金利の禁止の原理
金融取引と実物との結合
が基本となっており、債券の場面でいえば、投資家がキャッシュフローを生み出す実物資産に対して何らかの持分的な権利を有するものでないと、イスラームの戒律に従ったイスラーム債(スクーク)ではない、と考えられています[1]。従って、イスラーム債(スクーク)には、必ず裏付けとなる実物資産
(以下、「裏付け資産」という。)が存在し、目論見書など発行に係る書類では裏付け資産について言及されているのが特徴的と言われています。
スクークの裏付け資産とされるものは不動産や動産のような有体財産だけではなく、権利関係のような無体財産を裏付け財産とするものも存在します。
2.スクークの仕組み
全てのイスラーム債(スクーク)がそうではありませんが、ケイマン諸島などの租税回避地にSPVを設立し、これに裏付け資産を移転し裏付け資産を表章する有価証券を、イスラーム債(スクーク)として投資家に対して発行するパターンが多く見られます。
具体的には、イスラーム債(スクーク)の発行体であるSPVは、裏付け資産に関して信託宣言を行い、SPVが信託受託者すなわちトラスティ―となり、裏付け資産をSPVの固有財産とは分別された資産として、投資家のために保有するというストラクチャーが取られています。信託宣言は英国法などいわゆるコモンロー系の法律を準拠法としています。ところが、多数の過去の事例では、SPVに裏付け資産を移転する際に、日本法におけるような対抗要件の具備や信託の登記が行われていないようです。
加えて、多くの事例では、イスラーム債(スクーク)の期中の利払いに相当する利益配当と元本の償還は、裏付け資産のキャッシュフローのみに依存するというストラクチャリング(いわゆるasset backed ファイナンス)が取られておらず、オリジネーターの信用に依存しています(いわゆるasset basedファイナンス)。
このあたりは以前のブログ記事でも書かせていただいたことがあると思います。
3. 多くの事例でコモンロー上の信託宣言が利用される理由の考察
a. 問題の所在
なぜ、英国法などのいわゆるコモンロー系の法律がイスラーム債(スクーク)の準拠法として使われるのでしょうか?証券化においては、bankruptcy remote(倒産隔離)の目的上信託が使われるので、これと同様にオリジネーターである資金需要者の倒産からイスラーム債(スクーク)の裏付け資産を守るためと考える向きもあると思います。こうした目的は無いとは断定できませんが、多くのイスラーム債(スクーク)はオリジネーターの信用に依拠した、asset based financeとしてストラクチャーされています。したがって、オリジネーターの倒産から裏付け資産を守るというのは、絶対に必要というわけではなく、したがって、bankruptcy remoteというのは、必然的な理由とは思われません。
b. 英米法(コモンロー)における信託の考え方
そうすると、他に原因となるものがあるかということになりますが、ある論者によれば、英国法における信託では、legal ownership(又はtitle)とbeneficial interestに所有の観念が二分されていることが、asset basedなスクークの設計のために便宜であるということが原因ではないかと言われています[2]。コモンローと呼ばれる英米法の勉強をしたことがない方にはちょっと難解な話になりますが、以下に述べることが本ブログ記事の核心的部分です。
まず、コモンロー(英米法)上の信託の考え方を理解する必要があります。
わが国の信託法では信託受益者の権利は、信託受託者に対する債権という位置づけが法文上なされています[3]。これに対して、英国法などのコモンロー上の信託制度では、信託受益者は実質的に信託財産の所有者(的な者)と扱われています。これをbeneficial interestと呼ぶことがあります。信託の受益者はbeneficial interestを有する者として、信託財産に対する権利者として、その譲渡ができるし相続もできると考えられています。そのような意味ではbeneficial interstの訳語としては、「実質的所有権」といった語を使うとわかりやすいかも知れません。
要するに、英米法系の国では、信託の受益者は信託受託者が管理する信託財産に対して、実質的には所有者の立場にあると考えられているわけです。
c. スクーク(イスラーム債)に関するイスラーム法と英米法の信託の考え方との親和性
一般に社債とは投資家が発行体に対して有する金銭債権を表章した有価証券と考えられています。ところが、イスラーム金融では、実物取引とは切り離された金融取引は嫌忌されていますので、金銭債権を表章する社債はイスラーム法ではスクーク(イスラーム債)とはみなされないわけです。
冒頭で申し上げた通り、イスラーム債(スクーク)は、投資家がキャッシュフローを生み出す実物資産に対して何らかの持分的な権利を有するものと考えられています。ところで、英米法における信託受益権は信託財産に対するbeneficial interest,すなわち実質的な所有権(的なもの)と考えられています。従って、英米法系の法律に基づき、イスラーム債(スクーク)の裏付け資産を信託受託者に移転し、信託受託者において信託受益権を表章する信託受益権証書を発行することにすれば、その信託受益権証書は、裏付け資産に対するbeneficial interest(実質的な所有権(的なもの))に対する持分的な権利を表章した有価証券ということになり、イスラーム法の趣旨に合致した有価証券、すなわちイスラーム債(スクーク)となるわけです。
そのような意味において、イスラーム法におけるスクーク(イスラーム債)の考え方と英米法系の法律(コモンロー)における信託の考え方は調和的といえるわけです。
なお、このbeneficial interestとは、日本法でいうような対抗要件は必要とされていません。イスラーム法学者もイスラーム法(シャリーア)上許容されるイスラーム債(スクーク)の成立のためには、対抗要件の具備までは必要でないと考えています[4]。
以上の理由により、コモンロー上の信託制度はイスラーム債(スクーク)の商品設計上都合の良いものと考えられているので、コモンロー系の法律を準拠法とした信託宣言が多くの案件で利用されていると考えられます。都合がよいからコモンロー系の法律を準拠法とした信託が使われているだけであるならば、イスラーム法上コモンロー系の信託を使用することが強制されているわけではないとも言えます。そうすると、論理的には、イスラーム法上許容されるならば、コモンロー以外の法律に基づくイスラーム債や信託受益権の形式によらないイスラーム債の設計も可能と考えられます。
以前、マレーシアでのコモディティ・ムラーバハ・スクークというタイプのスクークの調査をしたことがあるのですが、その時にわかったこととして、信託受益権証書の形式を使っていないと思われるものがありました。
4. 日本の信託法との関係
ところで、わが国の信託法においてはコモンローと異なり、信託受益者の権利は債権と明記されており、信託財産の所有者は信託の受託者という立場が取られています。少なくとも法文上は上記のような実質的所有ともいうべき概念がありません。仮にシャリーア(イスラーム法)の考え方としては、準拠法となる世俗法においてスクーク所持人が裏付け資産の「所有」にかかる法的権利を有していることまで要求されるのならば、日本の信託法を準拠法とし、シャリーア適格なスクークは設計をすることは、論理的には不可能となります。
そのようなことを言ってしまうと、資産流動化法の特定目的信託の社債的受益権はイスラーム法上はスクーク(イスラーム債)ではないということになってしまいますが、信託の一般原則としては、受益者が信託財産に対する重要な意思決定を行い、信託終了時に残余財産の分配を受け得るいう仕組みを通じて、信託財産に対する支配を有していることをもって、イスラーム法上はスクーク所持人は裏付け資産に対する割合は持分を有していると言えるのかも知れません。そうだとすると、日本の信託法(あるいはその特別法たる資産流動化法の特定目的信託の規定)に準拠したスクークも可能ということになります。
[1] そのような点で、西欧的な法体系で言えば社債よりも投資信託証券にむしろ類似している指摘している人がいる。
[2] Osman Sacarcelik, M.A., “Overcoming the Divergence Gap Between Applicable State Law and Sharia Principles: Enhancing Clarity, Predictability and Enforceability in islamic Finance Transactions Within Secular Jurisdictions”, 8th International Conference on Islamic Economics and Finance, p.p. 2.
[3] これを「債権説」と呼ぶ人もいる。
[4] 前掲 Osman Sacarcelik, M.A.