イスラム金融(25)わが国におけるイスラム法研究の現状(2)
同じテーマでは2008年6月22日に扱っています(URL: http://shoko-hajime.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/17_10cd.htm)が、本日はその続きを少し。
先週末、或る研究者と実務家との合同勉強会において、イスラム金融に関する報告をしたのですが、その後で研究者側の報告者の方々と軽く食事をして色々とお話を伺うことが出来ました。(なお、この勉強会の報告要旨等はアジア国際法学会日本協会のHPに掲載されるそうですので、ご関心のある方はそちらをご参考になさってください http://asiansil.web.fc2.com/index.html)
研究者の方の中にはイスラム法の研究者もいたのですが、その方の話によると、イスラム関係の研究者の少なくとも半数以上はイスラム教徒であり、かつ、イスラム教徒が主流派を構成しているとのことです。
言われてみると、確かにイスラム教徒の方はイスラム金融についても情報を沢山持っている感じはします。イスラム教徒だから情報が集まってくるのか、或いはイスラム教徒だから熱心に情報を集めるのか、どちらかよくわかりませんが、公開資料に出ていないような情報もお持ちであるという印象を受けたことはあります。学者の世界でも同じようなことがあるのでしょうね。
研究会において、筆者は主にイスラム金融に関するリスクについて報告をしたのですが、その研究者によれば、「イスラム法の文献では、取引の組成の段階においてイスラム教に適合するかどうかの議論は、沢山あるが、取引組成後において、どのようなリスクが発生するのかについての議論は遥かに少ないので、面白かった。」とも仰っていました。確かに、イスラム教徒の方の関心は、どのようなストラクチャー(仕組み)にすれば、イスラム法に反しないシャリア適格なものになるか、ということに重きが置かれているように思います。イスラム金融は、イスラム教徒としての信仰の実践という意味を持つのでしょうから、そのような点に関心が集まるのだと思います。
これは、西欧諸国のキリスト教や日本における仏教では、宗教とは精神世界のものであって、現実の生活と切り離されている、と考える人が多いと思うのですが、イスラム教徒にとっては現実の生活における実践こそが大切だと考えられているからではないかな、と思います。換言すれば、金融も信仰の実践の場なのだろうと思います。あくまでも素人の感想に過ぎませんが…。
今後、わが国においてイスラム金融に取り組む場合にも、こうした点についての配慮も必要なのかなという感じがします。
ということで、本日は法律の話ではなく、文化論のような話でした。