イスラム金融(9)準拠法の選択とイスラム法
相変わらずイスラム金融の話題です。イスラム教徒が国民の大部分を占める国家でも憲法、民法、商法、訴訟法といった制定法を持っているところがあります。中東諸国の民法は、わが国と同様にフランスのナポレオン民法の影響を強く受けています。更に、イギリスに支配された地域では英国法の影響も相当あります。しかし、これらの制定法は、いわゆるイスラム法とは区別して考える必要があります。
まず、イスラム法は、聖典コーランを最高位の典範とするイスラムの戒律または規範であって、不文法のようなものです。六法全書など無いのです。不文法というと、判例法をイメージしますが、このブログで以前書いたように(2008年5月1日分http://shoko-hajime.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/fatwa_d981.html)、先例拘束の原理も確立されていません。ですから、判例法のようなもの、とも言えない代物です。
イスラム法のもう一つの特色は国家を超越した規範と考えられている点です。イスラム国家では聖典コーランを最高位の規範とするイスラムの教えは憲法にも優越するものと考えられています。このような考え方は、イスラム教の聖地であるメッカに近い国ほどその傾向が強いといわれています。つまり、国家が立法した制定法であっても、イスラムの教えに反するものであれば、それは無効と考えられています。
このように、イスラム法は、国家を超越したもので、しかも制定法でなく、かといって先例拘束の原理も確立されていない、ということになると、西欧的な法規範とは本質が違うものではないかと思われます。
そこで、契約の準拠法の問題に移りますが、複数の法律が抵触する場合どちらの法律を選択するかというのが、準拠法の選択の問題ですが、それは国家の存在を前提とした法律であると思います。例えば、ドバイの制定法と日本法のいずれを準拠法とするかというのは、準拠法の選択の問題になり得るのではないかと考えているのですが、これはアラブ連邦首長国のドバイ特区には各種の制定法があり、それは特定の国家の存在を前提とした法律だからです。
ところで、イスラム法は「準拠法」になり得るのでしょうか?この点を議論した判例が外国にはあります。イギリスの裁判所で争われたイスラム金融の紛争事件で、契約には次のような準拠法条項が入っていた契約があるそうです。
"Subject to the principles of the glorious Shari'a, the agreement will be governed by and construed in accordance with the laws of England."(試訳:栄光あるシャリアの諸原理に従うことを条件とし、本契約は英国法に準拠し、解釈されるものとする。)
この事件では「シャリアの諸原則に従う」というくだりの解釈が争われたのですが、英国の裁判所は、①一つの契約が二つの法制度に準拠し得ないこと、②シャリアの諸原理とは法制度ではなく宗教上の原理に過ぎないこと、③シャリアとは一つの国家の法ではなく、シャリア法のための国家を超越したものを適用する規定はないことを述べて、上記契約の準拠法は英国法と判断しています。
この二つ目と三つ目の理由が筆者にとっては、説得的と思えるのですが、如何でしょうか?
日本も西欧的な法制度を有している国であって、このようなイスラム金融における準拠法条項の解釈が問題となれば、日本の裁判所もイギリスの裁判所と同じような判断をしそうな気がします。
【追記】
この記事の続編として、「イスラム金融(44)準拠法の選択とイスラム法(その2)」を書きました。この記事で紹介した後の判例やイスラム金融における契約書作成の留意事項に触れていますので、そちらもご参照ください。→http://shoko-hajime.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/44-e6bb.html